村上春樹の作品について

 エルサレム賞についてはとりあえず突っ込まないでおく。思い返してみると村上春樹の作品の中で読み通したことがあるのは、短編がいくつかと、長編では『風の歌を聴け』だけだ。
風の歌を聴け』は、読んでいて気持ちのいい作品であり、それゆえに同時に気持ちの悪い作品である。
 というのは、この作品には「甘い喪失感」があったからだ。作品の中で女を殺し、その女を失ってしまったことの感傷に浸る、という行為は非常に甘美であり、非常にグロテスクである。そのような行為は別に村上作品だけでなく、様々な作家の作品に見出されるものである。
 喪失の経験というのは、強力な主体を立ち上げるための簡便なツールである。もっと実も蓋もなく言ってしまえば、特別な経験をした人間は特別だという感覚・評価を生み出すためのツールである。女を殺したことは明らかにそのようなツールとなってしまっている。無論、作品の話者が女を直接殺したわけではない。そうであったならこの作品は甘美なものとはなりえなかっただろう。ここでしているのはあくまで関係の形式性の話である。そして直接的にではなく、形式的に女を葬るからこそ、この作品はグロテスクなのである。