マックス・ヴェーバー『職業としての学問』2

 本書に収録されたヴェーバーの講演がなされたのは1919年であるが、講演の内容とその歴史的時期については不可分に考えなくてはならない。以下は表紙の紹介文の引用である。

第一次大戦後の混迷のドイツ。青年たちは事実のかわりに世界観を、認識の代わりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した。学問と政策の峻別を説くこの名高い講演で、ウェーバーはこうした風潮を鍛えられるべき弱さだと批判し、「日々の仕事に帰れ」と彼らを叱咤する。それは聴衆に「脅かすような」印象を与えたという。

 ヴェーバーの講演は混沌とした状況を変えてくれるような、すなわち「革命」を待望するような浅薄で性急な気分が高まっていた社会的風潮に対する抵抗の意味合いを多分に含んでいる。
 今日の日本においても、安易に当時のドイツと同一視はできないにしても、「事実のかわりに世界観を、認識の代わりに体験を、教師のかわりに指導者を欲」するという状況はかなり深刻なものであるように思う。
 90年代からこっち、バブルははじけ、神戸の町は崩壊し、少年たちがにわかに恐怖と憎悪の対象となり、長引いた不況とその回復傾向とは裏腹に広がっているらしい格差、そこへ転がり込んだ威勢のいい首相の登場と9・11のテロ。
自民党をぶっ壊す!」、「抵抗勢力!」、「死ぬ気でやる!」、「私は(自衛隊を)軍隊だと思ってます!」、「国際貢献!(その根拠はなんと憲法前文だ!)」等々、まさに「革命の指導者」のごとく、小泉首相は突っ走る。
「すべてをリセットして新しく出発したい」。そんな「革命」的な雰囲気に乗って憲法「改正」に教育基本法「改正」まで叫ばれている。その実質は問われないまま。
 訳者解説の最後で現在の日本の状況と似ているように思うと書かれていて、それがなんと1936年である。非常に示唆的だと思う。
 それにしても、ヴェーバーさんは熱い。思わず、この人を「指導者」に欲しくなってしまいそうである(笑)。