伝統的正統性

支配の正統性

 マックス・ヴェーバーによる支配の正統性のメモ書きです。
 ①支配の正統性とは、服従者が支配を承認し、それに服従する可能性のことです。
 ②なぜ支配の正統性を問題にするのかというと、むき出しの実力のみに頼る支配は不安定で永続しにくいものだからです(例えば強盗の親分とその仲間)人々が支配を安定して受容する根拠として、「利害関係」と「支配の正統性」があるのです。
 ③そして正統性には3類型があります。

伝統的正統性

 そのうちの一つが伝統的正統性です。これは伝統的秩序の神聖性への信仰心(恭順)にもとづきます。
 日常的、人格的、情緒的、恩顧的、血縁的な関係を特徴とし、主人と臣下・下僕の関係が典型です。
 ここでは「主人」も伝統に拘束されますが、伝統の外部は恣意が支配します。天皇制もこの伝統的正統性の中に含まれるといってよいでしょう。

伝統的正統性はなぜ成立するか

 伝統的正統性は伝統的秩序の神聖性への信仰心に基づくものですが、しかし気になるのは「伝統的秩序」に「神聖性」が付与されるメカニズムです。「伝統的秩序」というのは要するに「昔から続いていること」あるいは「昔から続いているものとしてでっち上げられたもの」と言い換えられるでしょう。これがなぜ支配の根拠となるのでしょうか。
 最近の議論の中でグローバライゼーションによる過剰流動性不安というものが大きく取り上げられています。「伝統的秩序」というものは、人間の入れ替え可能性を小さくし、個人個人に安定した固定的役割を与え、「自分はいったい何ものなのか」という疑問を起こしにくくする機能があると考えられます。自分が何のために生きているのか分からない、あるいはそういう疑問を持たざるを得ない状況というのは多くの人にとって苦しいものなので、そうした不安をあがなう装置として「伝統的秩序」が支配の正統性を獲得するのでしょう。そのときに、昔からあるものほどその秩序は安定性が高いということを保証するように思われるので、「伝統的秩序」はみんなそろって「俺がオリジナルだ!」とやりたがるのではないでしょうか。
 いやでも、過剰流動性不安という概念は便利だけど話がうますぎるというか、もう少し事態は複雑なんじゃないかという気がします。