団塊ジュニアの人たちってなんなんだろうね、あと「死ぬ死ぬ詐欺」言説のバカさ加減との関連について、そんでもって今日は書かないけど多分ネット文化の特殊性に繋がるような話でもあるでしょう

 まあいつも言うことですが世代論というのは雑駁なものなのであんまり信用しない方がいいとは思いますけれども、やっぱり人間というのはその時代の影響を色濃く受けるものでして、一人の人がそのようであるのはやはり「社会現象」としてそうなっているという部分が大きいものです。
 それでまあ最近僕が考えているのが団塊ジュニアと呼ばれる人たちのことでありまして、狭義には70年代前半生まれの方々のことを指すようでありますけれども、この方たちの特徴というのが僕にはどうにも不可解に思えるのであります。
 団塊ジュニア世代の特徴といいましてもピンとこない方も多いかもしれません。ちょっと古い分析ですが10年ほど前に橋爪大三郎が書いたコラムがあるのでそれを参照してみましょう。

団塊ジュニアの特徴

・適当な文化アイテムを使って先行世代との切断をすることができていない=前の世代となんとなく連続していて特徴がない。(団塊世代の先回り)
・価値相対主義が公認されてしまったので、個々人で価値観が違うのは当たり前になり、特定の価値にコミットメントして世代形成をはかることが不可能。(橋爪さんは「統一教会に世代ごとはいれば叩いてもらえて世代形成できる」とか言ってます(笑))

・上記二つの理由により、この世代はオタクっぽく、カルトっぽくならざるを得ない。橋爪によれば「カルトは本来、特定の狭義や価値観を共有する集団という意味ですが、そういうものからはほど遠く、中心となるべき価値観を欠いたまま“これだけ知ってる”というゲームにならざるをえない。オタクやカルトも「結合」と「分離」のゲームなのですが、微細な違いやローカルな情報へのこだわりで成り立っているため、上下の世代に対してでなく、同一世代の内部で分割線をひいてしまい、自分たちの世代をずたずたに分裂させてしまう。/こういうオタクやカルトはばかばかしいのですが、そのことに自分でも気付いていて醒めているのも、特徴です。ある方向にのめりこみながらも、引き返すタイミングを測っている。暴走しながら「来年は足を洗おう」と決めている暴走族みたいです。昔だったら、途中で引き返すのは「挫折」で、どんどん進んでいくのが正しかった。行ったっきりの人が、過激派にもかなりいたでしょう。でも団塊の世代と違って、彼らはそこまで自分の価値観を信じきれないんです。」ということになるらしい。
・また「ノーマル幻想」がある。「これは、中流志向とはちょっと違う。現に資産格差があっても、ライフ・スタイルはそんなに変わらないでしょう。その表面のところを彼らは信じていて、自分はそれから外れない、外れちゃいけないみたいに思いこんでいる。よく考えれば、根拠のない幻想です。でも、生活の面でも、ものの考え方でも、極端を嫌い、ノーマルであることを志向する性向が強い。/となると、ある方向にのめりっこみぱなしという人がいなくなります。その結果この世代は、八方ふさがりのタコ壺みたいな感じに襲われる。これでは開放感がないから、世代全体にフラストレーションがたまり、文化的ヒーローも出にくくなると思います。なんかで優勝したり、賞を取る人は当然出ますが、その人が世代を代表する文化的ヒーローになるかというと、そういうことは少ない。「ノーマル幻想」は、一見無害に見えますが、問題が多いと思います。」
・さらに「彼らは価値観にこだわりがありませんから、外の価値観との間に、論争や対話が成り立ちにくい。民主主義の機能である、チェック&バランスがきちんと働くかという心配があります。」

ついでに、大塚英志の発言も参照。
「ぼくは広告の仕事をやっていたときに、若い子たちの定点調査的なアンケートをやってたことがあったんだけど、いわゆる団塊ジュニアが調査対象に入ってきた段階で、尊敬する人の一位にいきなり「お父さん」が入ってきた。対面調査をしても、無邪気に「お父さんのようになりたい」って言うの。尊敬する人って「偉人」というか、エジソンとか野口英世とか、社会の中の存在でしょう。それが「お父さん」になっちゃうっていうのは「社会」が見えにくくなったのかなって、ぼくにはすごく違和感があって、ああ、自分たちの感覚がちょっとずれてきたのかなと思ったんです。その時に、小沢雅子の『新「階層消費」の時代』っていう本が八〇年代に出たでしょう。団塊世代団塊ジュニアの間での資産の継承が始まった段階で日本の階層化が進むんじゃないかという経済予測で、階層化が進むというのと、お父さんを肯定的に捉える子供たちの出現というのは、何となくセットなんだろうなと思った記憶がある。お父さんを肯定していくということは、二世、三世である自分を肯定していくということでしょう。」

まあきょうはこのへんで

 終わりますけども、後々このメモを参照しつつなんか言ってみようかなと思ってます。
 ちょっとだけ踏み込んでおくと、どうもこういう団塊ジュニアの特徴って僕が「ネット右翼」に対して感じる問題とぴったり重なってるんじゃない? という気がします。「ノーマル幻想」というのも要するに最近よく見かける「中道病」のことでしょう。「微細な情報の差異でゲームをする」というのも例えば「死ぬ死ぬ詐欺」でひたすら(くずのような)ディティールを構築していくのに熱心だった蛆虫たちの姿がまさにそれだと思っています。