「死ぬ死ぬ詐欺」言説

 繰り返し同じことについて語り、零れ落ちたものを掬い上げていきたい、そんな風に思う。
死ぬ死ぬ詐欺」言説の中で多く見られたもののなかに、「身銭を切れ」というのがある。「できることをすべてやってから」、つまり「全財産を投げ打ってから」募金に頼るべきだというような意見だ。それが暗黙の了解事項であり、それをしていなかったことは「裏切り」だとまで述べている人もいた。
 しかしどうしてそんなことが暗黙の了解にされてしまうのだろう。そうするべきだ、ということに恐らく根拠はないはずだ。別に財産を残したままで募金に頼ったっていいじゃないか。そうすれば子どもの家族の生活は維持されるし、子どもは助かるし*1、募金した人は子どもの命を救うことに貢献できたわけだし、少なくとも身銭を切らないことによっては悪いことなんて一つも起きないではないか。
 そもそもどうして、全財産を投げ打つか、募金に頼るというようなことをしなければその子どもを助けることができないのだろうか。それはその子どもを助けるために税金を使わないからだ。財産を投げ打ったり募金しなくても治療が可能な仕組みがこの国にあればいいはずなのに、それがない。それがいちばんの問題だ。
 だから「身銭を切れ」というような批判はまちがっている。もっとおおきな視点で問題を考えるべきだ。

*1:手術が成功すれば、という留保がつくが。