メモです。

儀礼のコンテクストからシンボルを分離することが最も端的に表れているのが、シンボルの意味を発見するためにレヴィ=ストロースの分析の手法を用いた構造主義者たちの研究である。(中略)突き詰めていえば、これの手法の特色は意味が、シンボルとして用いられた諸物の性質のみからではなく、それらの属性が相互にまとまり合い、そしてまたせめぎ合うあり方からも見出されると考えることにある。物語であれ、神話であれ、儀礼のドラマ的過程であれ、各要素の単位が順序良く並んでいるかどうかは問題ではなく、肝要なのは対立項と同一項の連なりで、これがリーチのいう「シンボルを結合する論理」である。パターンを明らかにするために、分析者は各要素を再編成する必要があり、ここにおいて要素は儀礼から切り離されるのである。こうした手法の極端なものでは、行為、行動に影響を与える価値観、自然環境から来る制約ばかりでなく、多様な人間社会を特徴付ける文化的差異までが相互に関連を失ってしまうのである。残るのは人間の思考を表す普遍的シンボルのみである。(14)

ジーン・S・ラ・フォンテイン『イニシエーション』(2005,弘文堂)p.41

(14)実際、レヴィ=ストロースは、象徴と言語の双方に現れる二項対立論理が頭脳構造の属性から来るものであると論じている。最近の研究では二項対立論理の優勢に疑義が呈されている。レヴィ=ストロースに影響を与えた言語学の業績は、意味構造ではなく、音韻構造の分析のために発達したものであることが銘記されねばならない。そのため、レヴィ=ストロースの仮説が証明される可能性は低い。

前掲書、p.45

 ここでの批判は「二項対立論理」と「シンボル以外の要素の相互無関連化」とに対する批判が混同されているような印象を受ける。