種とか進化とかで疑問に思ったことのメモ書き

 えっと、『バックラッシュ!』はこれから注文します。多分キーワードをたどってここに来る人がいると思うんですけど、素人が質問するだけなのでそこのところをよろしくです、どうも。あ、あと神の創造を信じてます、無理に相手しなくていいです。
 さて、前置きしたところでかきかき。

http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060708id:kalliklesさんのところのコメント欄に関してです。『バックラッシュ!』の書評を受けてのもの。全部貼り付けて眺めながらうんうんうなってみる。注目したところを太字にします。

# yamtom 『単に日本の現在のバックラッシュ状況に直接的な関わりが薄いだけで、個人的にはDavid Bussは十分バックラッシャーではないかと思います。』 (2006/07/09 02:10)

# yamtom 『「現代の古人類学で主流の考え方も 客観的でなくて偏見にとらわれているとかってことはないんだろうか。」というのは当たり前で、それが瀬口論文のポイントではないかと。いつの時代の主流であっても、常にバイアスはついてまわると。(マーティン&ヒューストンのインタビューも共通の観点があると思いますよ)。あと、瀬口論文の脚注に、澤口講演会のソースなど書いてあるはず。脚注もぜひお読みください。』 (2006/07/09 02:15)

# kallikles 『ども。澤口講演は『日本の息吹き』平成一五八月号(ママ)ですよね。
どうやって入手するのかなあ。』 (2006/07/09 02:18)

# yamtom 『国会図書館にあります!』 (2006/07/09 02:20)

# kallikles 『ありがとうございます。それはわかっているんですが、もうちょっと手に入れやすい文献あつかってくれりゃいいのに、ということでした。誤解の多い表現ですみません。』 (2006/07/09 02:22)

# norisansun 『いろいろとコメントありがとうございます。X染色体のところは、誤解を生みやすいかもと思っていました。当然、X染色体上にある遺伝子だけが、知的、精神能力に関係があるわけじゃありません。知能、精神能力の一部と関連のあるたんぱく質コードが見つかったらしいということなのです。他の染色体にも知的能力、精神能力に関連のある遺伝子はたくさんあるはずです。その前の文に、人間には性染色体のほかに22個も常染色体があり、そこにある遺伝子とX染色体の遺伝子(男もひとつもっている)は生物学的な男と女にも共通だと書きました。だから、オーバーラップしている部分はかなり多い、と。これをまた、繰り返せばよかったのですが。 Y染色体ばかりがフォーカスされているので、無視されていたX染色体のことをあげてみたのです。これは、過去の進化史モデルでも女のことがまったく言及もされなかったことによく似ていると思います。X染色体といえば、女、Y染色体といえば男、と対比されますが、X染色体の一本は男ももっているのです。決して、X染色体上で見つかった脳の機能に関連のあるコードだけが女だけにあると強調したいわけではないのです。そして、脳の進化にダーウインのいう性選択(sexual selection)が関係してるかもしれないという説も飛び出したと書いたのですが。
それから、脳の退屈な話は、新井氏がよく脳の性差を説明しているところを検証してみたのです。アメリカに住んでいると日本語の本を手に入れるのが困難なので、pdfですぐ手にはいった澤口氏の文章を使いました。澤口氏はあらゆる本で、同じようなことを繰り返しているようですので。
あと、人類学では「種としてのホモ・サピエンス」、「ホモ・サピエンスという種として」という言い方をよくします。ふつうの進化論理解ってどういうのですか?ウーマン・ザ・ギャザラー説では、性役割というのではなく、個人ができる範囲の仕事をこなしたのではないかという仮説を提示したと書いたはずですが。
科学の客観性って「客観性がなにか」ということもいっぱい議論されるでしょうね。いえ、されるべきだと思います。』 (2006/07/09 03:44)

# kallikles 『コメントありがとうございます。もうちょっと追加書きます。』 (2006/07/09 03:58)

# kallikles 『>あと、人類学では「種としてのホモ・サピエンス」、「ホモ・サピエンスという種として」という言い方をよくします。ふつうの進化論理解ってどういうのですか?

これわかりにくかったかもしれないのでこっちに書きます。素人なので読みながしてもらってかまいませんが、なにかが進化論的に重要な場合、ふつうは「種」より「個体」にとって重要であるという書きかたをするのではないでしょうか。』 (2006/07/09 04:22)

# kallikles 『「高い知能と社会的に生活するために必要な技術を獲得することこそが、ホモサピエンスの個体にとって重要であった」と書くとたしかにアレすぎますが、「種にとって重要」という言いまわしはなんか「種」という実体があるように読めてしまいます。』 (2006/07/09 04:26)

# kallikles 『あと澤口先生の件は了解しました。しかしそんなしょうもない方ではなく、まともな方を論敵に選んだ方が戦略として正しかったんじゃないでしょうか。しょうもない方を叩いて、「保守派」一般に広げるのはまずいです。(そもそもそれがバッシング派のやり方でもあるわけですし。)』 (2006/07/09 04:28)

# kallikles 『もうひとつ、

> ウーマン・ザ・ギャザラー説では、性役割というのではなく、個人ができる範囲の仕事をこなしたのではないかという仮説を提示したと書いたはずですが。

これは
「男女の性別に関係なく、個人すべてが柔軟にいろいろな範囲の仕事や食料調達をこなしていた可能性を、人類の様ざまな食料調達法の研究からのデータを踏まえて議論した。」(p.318)ですね。ありがとうございます。
この仮説では、あんまり性役割はなかったろう、ということになっているわけでしょうか。女性が時に小動物の狩猟に出てたであろうってのはなにかで読んだ気がしますが、長い日数のかかるであろう大きめの動物の狩猟や、他部族との戦闘や略奪などにも出てたのかなあ。いや、こちらは調べてみます。』 (2006/07/09 04:39)

# kallikles 『チンパンジーあたりの殺戮行動を見るとそういうのはオスがバンド作ってやることらしいので、人類だっていろいろ性役割あったんじゃないかとかってのは強力な立場に見えるです。ほんとうに素人なんでわかりませんけど。澤口先生ではなく、ここらへんの議論の紹介までやっていただければおもしろかったかと思います。でも紙幅の問題もあったでしょうから、しょうがないと思います。』 (2006/07/09 04:44)

# yamtom 『しかし、澤口先生は日本会議系の講演会などでかなりご活躍され、ネットでも頻繁に引用されてきた経緯があるので、しっかり批判をしておくことも重要だと思います。右派の集会に出るような層に影響力がある人物の論に反論しておくということも意義深いかと。
あと、私がバックラッシュ系の文献などを見た限りでは(たぶん普通の人より、国会図書館でしか閲覧できない渋い系の資料をたくさん見ていると思います)、空間把握能力や言語運用などの「知的能力」に含まれるとされる能力が言及されるケースは非常に多かったように思います。』 (2006/07/09 04:46)

# yamtom 『本自体に、長谷川論文みたいな現場の話がもっとあったらよかったのに、という点は同感。マーティンさん&ヒューストンさんは、頑張って飛行機乗ってインタビューしにいった甲斐がありましたです。』 (2006/07/09 04:50)

# kallikles 『ふーん、澤口先生は大物なのですね。政治音痴ですみません。

空間把握能力とかは「理系女性研究者の育成」政策とかの文脈で重要なのかな。』 (2006/07/09 04:54)

# norisansun 『種に実体があるかないか、これは、すごく難しい議論ですね。例えば、言語を意味のある音に出して話すことのできる動物ってホモ・サピエンスしかいないですよね。そういうところでも、ホモ・サピエンスチンパンジーではないです。そこにはやはり、大きな違いがあります。私は亜種という分類は使わないし、そこには実体はないと思っています。』 (2006/07/09 05:09)

# kallikles 『ついでに書いておくと、バッシングのもうひとつのポイントはポジティブアクションだと思うんですが、国内であんまり正当化の議論を読んだことがなくて(勉強不足だからですが)、不満です。バッシング本でも触れてる論文なかった(と思う)し。』 (2006/07/09 05:12)

# yamtom 『えっと、いちおう私の文章、ポジティブアクションという言葉は使ってないですが、「積極的な差別改善」として、ポジティブアクションアファーマティブアクション)は含めた意味で使っています。「ジェンダーフリー」の限界点のひとつに、ポジティブアクションの考え方につながりにくい、という面があるのではないかと私は思うので。』 (2006/07/09 05:19)

# kallikles 『p.258ですね。読んでます。
私は(さまざまな理由により)ポジティブアクション反対派なので、ちゃんとした正当化の議論を読みたかったのです。(「ジェンダーフリー」とは直接関係ないかもしれませんが、男女共同参画批判には関係あります。)』 (2006/07/09 05:28)

# macska 『わたしの論文がショボい話だというのは全く同感です。わたしだってこんなにショボい話したくない。わたしのブログで言うなら、林道義さんや小谷野敦さんとの論争は自分で後から読んでも「くだらない」としか思えない。でも、kallikles さんもご承知の通り、そういうのが今必要だったりしてしまうのです。
 アファーマティヴアクションについてはわたしがブログで書いたのがありますけど、あれじゃ駄目でしょうか? 確かに、今思えばキーワードに含めるべきでしたね。』 (2006/07/09 09:06)

# kallikles 『http://macska.org/article/117
ですね。ありがとうございます。時間のあるときになんか書くかもしれません。』 (2006/07/09 16:20)

僕が注目した部分は、整理すると二種類。

性役割
・実体としての種

この議論で言う「性役割」というのはヒトに限定した話なんでしょうか、それとも霊長目まで含めるのかな。はたまた他の動物も俎上に乗せてよいのだろうか。これは実体としての「種」と関わっているのだろうか。実体としての「種」があり、ヒトと霊長類、その他の動物をはっきり分けて考え、かつここではヒトに限定した議論なので他の動物の「性役割」の話は持ち込まない、というのがnorisansunさんの主張だと解釈していいのでしょうか。kalliklesさんの

チンパンジーあたりの殺戮行動を見るとそういうのはオスがバンド作ってやることらしいので、人類だっていろいろ性役割あったんじゃないかとかってのは強力な立場に見えるです。ほんとうに素人なんでわかりませんけど」

 というコメントに対して、norisansunさんは

種に実体があるかないか、これは、すごく難しい議論ですね。例えば、言語を意味のある音に出して話すことのできる動物ってホモ・サピエンスしかいないですよね。そういうところでも、ホモ・サピエンスチンパンジーではないです。そこにはやはり、大きな違いがあります。私は亜種という分類は使わないし、そこには実体はないと思っています。

 と答えていて、これは進化論理解に関する「実体としての「種」」を考える文脈での答えと考えるのが妥当だけれども、これは「性役割」のことも含めた答えと考えていいのでしょうか。kalliklesさんが性役割の例として出したチンパンジーという単語も出てきていますよね。
 つまり、kalliklesさんは進化論理解における「実体としての「種」」ということと、「性役割」の歴史的経緯を分けて質問されているように見えるんだけど、norisansunさんはそれをひとまとめにして答えてしまっているように僕には見えるんです。これはいかがでしょうか。
 ちょっと孫引きの形になりますが、進化論理解で問題にされていた部分を引用。

高い知能と社会的に生活するために必要な技術を獲得することこそが、人類という 種にとって重要であった。そのために、そういう能力が必要だったからこそ、脳の発達に 必要な遺伝子がX染色体上に速やかに進化していったのだろう。

 この部分に対して、(「種」という実体があると考えるのは)進化論理解としては変(だから「個体」にとってとすべきでないか)、という指摘がなされたわけですね。このあたりをもうちょっと注意深く考えたいと思うんです。「人類という種にとって重要であった」ことが、進化に影響を与えたと言いますが、そもそも「重要」というのがわからない。「人類という種」が「高い知能と社会的に生活するために必要な技術を獲得すること」がなぜ、いかなる意味で「重要」なんだろう。好意的に取れば、自然選択で生き残ることを「重要」だといっているのだろう。それでも危うい気はするけれど、とりあえず「重要」という言い方に関してはいいです。しかしそれでも問題は残ると思う。「人類という種にとって」という言い方はやはりまずいような気がします。これは「種という実体があるかないか」という問題ではなくて、むしろその「種」が目的を持って進化するかのような言い方になっていることが問題なのではないでしょうか。kalliklesさんが気持ち悪いと言ったのは、単純な科学的説明方法の問題ではなくて、ハーバート・スペンサーの系譜に連なる社会進化論優生学の文脈を感じたからなのではないでしょうか。
 僕は進化について、いやさらに生命現象について考えているときにいつもわからなくなるんだけど、遺伝的多様性というのを考えたときにね、ついつい、「それはその種が絶滅しないためだ」っていう説明をしたくなっちゃうのね。あるいはそういう説明が生物学にあるかもしれないけれども、ちょっとわからない。いやでも、単に自然選択の結果として生き残るのだという自然科学の「客観的」な認識から言ったらその言い方は変じゃね、とも思うわけ。それこそ単に生き残りやすい奴が生き残ったってだけで、生き残ること、種が残ることに価値を見出すのは人間の勝手な「主観」でしょ?
 それと、生殖の意義、ということについてもちょっと書いておくけど、生殖学の説明では生殖の意義には2つの点がある。

①子孫を残す=種の保存
②恒常性の維持=個体の維持

 ここでは「種の保存」が「意義」とされている。これも厳密に考えると難しい。果たして生殖は種を保存する“ために”行なわれているのか。それは単に”そうなっている”という現象を我々が価値付けているだけなのではないか。「種が保存されることはいいことだ」という価値によってだ。
 それと「恒常性の維持」というのも難しい概念だ。僕にはこれが「種の保存」とどう違うのかさっぱりわからない。大学の先生の説明では遺伝的多様性と関連があるらしいが、遺伝的多様性によって個体を維持するってことは結局その種を保存するということになるんじゃないの?? しかしもしそうだとするとやっぱりおかしいのではないか。つまり恒常性というのが、ある程度の遺伝的揺らぎを持たせることで「種」という枠組みそのものは不変に維持しようとするシステムだとすれば、生命現象に「目的」があるってことに?。あれれー? 落ち着け、落ち着くんだオレ。とりあえず、現在の進化論では「進化は結果である」、というので間違いないよね。たまたまその環境において子孫を残しやすい形質が残ったんだと。それと生殖の意義に関しては、子孫を残しやすい形質が生き残ってきたということは、遺伝的多様性を確保しやすい生殖形態が残ってきたと考えればいいのかしら。
 しかしそもそもなんで「生物」というものが存在するのか、いや「生物」とはなにか。なぜ我々の認識は意味を見出し、構造を見出し、分類するのか。心って、意識ってなんだ。善悪ってなんだ。生と死ってなんだ。こういうこと考え出すと夜も眠れんよ。
 ああ、それで大分脱線したけれども、「種にとって」と「個体にとって」というのは難しいねえ。種とは何か。個体とは何か。まあ形而上学には終わりがないだろうから、せめて「種」とは何か、「個体」とはなにか、という定義が決まんないと話が先に進まんような。チンパンジーホモ・サピエンスはこう違いますというような話はきりがないと思う。僕が気になるのは社会性動物のこと。ミツバチとかアリとか、ああいうのはどうなん? 明らかに集団維持のために個体が存在しているよね。あとはなんだっけ、ライオンの雄が自分の子供じゃない子供を殺しちゃうのとかなかったっけ。
 そういえばあと生物で面白いのは成長するってことだよね。これが最近不思議でしょうがないんだ。なんで大人が大人を生むようにできてないのか。かならず生活環があって、一つの形態、大きさでずっといるってのはないんじゃないか。しかも我々人間にとってはそれぞれ「段階」があるように見えてそれぞれ意味づけされている。社会学のシステム理論とか生物をアナロジーに使ってるんでしょ? そういう意味づけが生まれる構造も不思議だよねえ。夜も眠れないよほんとになー。食物連鎖とか共生とかもあるし、ああ、不思議だ。