靖国神社は薩長から

 耳学問とネットでチョコチョコっと調べたことだけども、それこそ「歴史認識」というものをもうちょっと考えてみようかということで書きます。
 ここ4日間、教職試験受験資格を得るための教職講義の一つ、「教育と発達」つまり教育心理学を受講していたのですが、講義に来た先生*1が「靖国神社戊辰戦争のあとに薩長戦没者を祭るために明治2年に作られた」ということを言われました。
 ネットで見つけた記事では以下のように書かれています。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/yasukuni.html
靖国神社の歴史は130年前、戊辰(ぼしん)戦争が北海道函館の五稜郭開城で幕を開けてから1カ月後の明治2(1869)年6月、東京招魂社が創建されたことに始まる。

建設計画が持ち上がったのは同年3月の東京奠都(てんと)の後という。会津征討総督を務めた軍務官知官事・小松宮嘉彰親王明治天皇の命を受け、副知官事・大村益次郎らに境内地を調査させ、九段坂上の旧幕府歩兵屯所跡地を東京府から受領することが決まる。

 6月下旬に仮殿が竣工し、29日から7月3日まで鎮祭式が行われた。戊辰戦争戦没者3588柱の神霊を招き降ろす招魂式は28日の深夜、丑の刻に斎行された。翌29日には弾正大弼・五辻安仲が勅使として参向し、勅幣を神前に奉る。嘉彰親王は祭主を務め、祝詞を読み上げた。
 祝詞は「天皇の大御詔によりて軍務知官事宮嘉彰申さく……」で始まり、官軍の武勇武勲を賞賛し、天皇の治世がとこしえに続くことを祈願する内容となっている。祭神は錦の御旗のもとで戦いたおれた薩長諸藩の官軍兵士で、農民や僧侶も含まれる。

 ここでまず気づくのは、靖国の歴史は端的に浅い、ということですが、その事はさて置きましょう。
 注意して欲しいのは、靖国の祭神が「薩長諸藩の官軍兵士」であったという点です。つまり靖国神社はその起源において、薩長諸藩と非常に深い結びつきがあるということがわかります。これは当時天皇を担ぎ出して「官軍」となったのが薩長であったことを考えると当たり前のことではありますが、しかし今日の靖国がむしろ「日本」全体の死者を管理するイメージで語られることを考えると、「薩長」というローカルなグループとの関係として靖国が出発したというのはその性質の変遷を見る上でも重要です。ちなみに時期総理大臣と目されている安倍晋三は長州出身だったりします。現在では薩長靖国のつながりはどうなっているのでしょうか。
 さて、その後靖国神社日清戦争で13,619人、日露戦争で88,429人の戦死者を祭り*2、「国家的に死者を管理する」性質を強めていきます。
 首相の靖国参拝がともすれば当然のようにみなされもしてしまう今、「国家」と「死者」がいかなる関係にあるのかについて、改めて考えて見る必要があるように思います。
 
 
 

*1:河野義章さんという東京学芸大の教授です。

*2:http://www.yasukuni.or.jp/annai/gaiyou.html