自己肯定と自国愛について

 最近、id:kmizusawaさんのブックマークコメントの中に、「自分がやさしくしてもらえなかった人は他人にも優しくできない」ということばは「自分の国を愛することができない人は他国を尊重することもできない」ということばと似ているのではないか、という意味のものがあった。
 確かに両者の論理構造は似ているが、自己肯定と自国愛にはやはりそれなりの距離が存在しており、直ちに同列に考えることはできない。
 むしろ、自己肯定があるのならわざわざ国家に自己を委ねる必要がないとも言える。そうすると、逆に言えば結構ベタに右翼っぽい愛国とかの主張をしているタイプのネット右翼とかそこらへんのにわかニッポン主義者たちは何らかの理由で自己肯定感を築くことができなかった人たちなのかもしれない。
 最近は自己と自国が同一化してしまっていて、自国が非難されると自分が非難されたように感じてしまう自己の未成熟な人が多くて困るのだが、どうしてそのように安易に国家と自己を同一化させてしまうのかということについてもまた考えなくてはならないだろう。

追記:以下のようなブクマコメントをもらいましたので貼っておきます。
rna ぜんぜん似てないというか、人と人との関係を国と人との関係にすり替えた上ずらしてる。人と国の関係で置き換えるならむしろ「自国に愛されなかった人は、自国を愛せない」が構造的に等価では。 」