ヘンゼルとグレーテル、プリキュア、吸血鬼、そして白と黒の関係について

 最近お気に入りの動画がこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=onQnkIB6tTA

 そんでもって今日見たのがこれ↓

http://www.youtube.com/watch?v=nVU3IKkgGI8

 で、このプリキュアを見てたらヘンゼルとグレーテルとの共通性に気がついた!
 プリキュアにおいて、主人公の少女二人は白と黒のモチーフを持ったコンビである。白と黒とが一緒になっている、つまりここには秩序の混沌が見られる。これは通過儀礼における分離、移行、再統合の三段階のうち、移行段階に特徴的な性質であると考えられる。彼女たちは活動的な少女と控えめな少女の二分された日常から、白と黒とが渾然一体となった非日常世界へと越境する。そして「あちら側」に属する邪悪な敵を敵を倒すことで日常へと帰還する。しかし、帰還した後の世界は以前の世界とは違って見えている、はずだ。
 さて、そしてヘンゼルとグレーテル。この二人は男女の性別を入れ換えているシーンがあり、男女という秩序を宙吊りにしていることが混沌状態を示している。また、双子、吸血鬼、というのも神話的想像力において物語の中に表現される代表的な移行段階モチーフだ。双子というのは互いが互いの背反的な鏡像であることを示しており、移行段階を終わらせるためには互いを捨てなければならない、はずだ。これが男女関係だと(あくまで物語の話だが)また違った様相を帯びてくる。例えば同じブラックラグーンのロックとレヴィの関係、あるいは桜庭一樹の『GOSICK』における久条一弥とヴィクトリカの関係を想起せよ! 
 ブラックラグーンにおいては「大人になれない」者たちが多数登場する。「大人になれない」者たちは「ロアナプラ」あるいは「ヤクザの世界」という「死の世界」=「あちら側の世界」の側の住人となり、あるいはそこで死ぬ。ヘンゼルとグレーテルもまた、非日常の世界=死の世界の磁場に飲み込まれて死んでしまった。彼らの名前はその意味で象徴的だ。つまり森に捨てられてお菓子の家の魔女に食われてしまい、帰還できなかったヘンゼルとグレーテル、というわけだ。そういえば考えてみると、バラライカは「帰還者」である。彼女はアフガン戦役からの帰還者だ。だが彼女はいまだ「死の世界」にいる。再統合に失敗したわけだ。
 あとは、そう、ヘンゼルとグレーテル、鷲峰雪緒は共通して「永遠を有する時空」を仮構している。この仮構の時空をどう捉えるかが難しい。もともと全体のバックグラウンドが裏世界の抗争で成り立っているわけで、極端に死に近く、暴力的であることが固定的な状況である以上、なんらかの歪みとでもいうべきものが生じているのかもしれない。
 それから、いま土6でやってる「妖奇士」という作品。これもまたずばりそういうテーマ。こっちの方が構造的にはすっきりしていてわかりやすい。男装の女性、女装の男性、棄民や異人、山人、思想的マイノリティーというスティグマなど、これでもかというほどの「移行段階」ぶり。あっちにもこっちにも定まることのできない者たちが「いま、ここ」でないどこかにあこがれながら非日常の冒険を繰り広げる。ちなみにアニメの動きとか音とシンクロするのが気持ちいいっていうのがこの作品を見ててわかるようになった。しかし39歳のおじさんが主人公で本当に良かったのだろうか。