80年代の建築はかっこ悪い?
建築系の友人から昨日聞いたのだが、僕の世代の人間から見ると80年代の建築というのはかっこ悪いらしい。というより、「その建築」が「80年代」にあるとかっこ悪いということのようだ。
そういった建築を設計した人たちというのは現在50代から60代くらいで、その下の40代の人たちは「そういうのもアリなのかな」と思いつつ「乗っていた」のだというふうにいうという。かっこ悪いことには同意するらしい。しかしながら、設計した世代の50代から60代の人たちは、それらの建築がかっこ悪いということに同意せず、「かっこ悪いですよ」と言うとむっとした表情になってどこがかっこ悪いのか問い詰められるのだという。
そして友人によるとそのあたりの話はディズニーランドがかかわってくるらしい。そういえば大塚英志の『〈おたく〉の精神史』にディズニーランドの話があったなと思いつつ、友人との会話は終わった。
ホームレス
ホームレスに対する、コンプレックス的感情である「怖さ」が否応なく生じてしまうことを認めることと、その感情を持つことを正当化することとは異なる。「『怖い』のは『しょうがない』」ということの意味が、怖がっても別にいいんだ、ということであるなら、僕はそれに同意しない。我々は怖がって「しまう」のであって、怖がって「よい」のではない。
そのことはまた、差別感情をなくせばよいのだ、という短絡とも異なると思う。たとえ差別感情を無くせなくてもそのありようと帰結とを考えることは必要なことだと思う。
最近、僕はやっぱりいろんな意味で保守的な人間なんだということを確認していて、それで「ホームレスのような生活」に自分の意志で好き好んでなることは「よくない」という思いがあることを認めざるを得ないのだが、そのこととホームレス全体を否定することは異なるし、なぜ「よくない」と思うのかを突き詰めることも怠るべきではないと思う。
追記:あまり虚構を参考にしすぎるのもよくないと思うが、『妖奇士』の17話と18話はジャストヒットだなと思った。
「産む機械」
おそらく柳澤氏は、「俺はこんなに経済学的にリアルな思考でものを考えてるんだぜ」という風に気取って見せたかったのだろう。ちょっと知的に突き放した言い方をすることで自分のインテリジェンスを自慢しようとするというのはよくある。
ただ、どうだろうか。彼の言うことが「経済学的にリアル」なものなのかはよくわからないが、「産む機械」という例え自体がやはり下劣なものだし、公の説明として失格、大臣のことばとして失格、歴史的文脈で考えて失格、といえると思う。
僕が最近ぼんやり疑問に思っているのは、そもそも出産という一般的に言ってかなりプライベートな問題に対し、国家が「少子化問題」という旗の下に躊躇なく口出ししているということで、あまり「民意を汲み取った上で」という風にも見えない。何しろ「健全」とか普通に言ってしまうのだから。
さすがに「産め」とはっきり言うことは出来ないように思うのだが、「これが健全なんですよ」と言いつつ、徐々に網を掛けてくるかもしれない、という心配はやはりある。
追記:産む機械といえば、ヒトブタを使って産ませられるようになるかもしれない。臓器移植にも使える。僕は出産を動物に代わってもらうのは認められないけど、技術だけならもうすぐできるように思うし、そうすれば実行する人も出てくるだろう。すごい話だ。