他者と生きていくことに関する写し書きメモ

 2006-06-09で先日発表されていた文章を読んでいて、『小説トリッパー』の大塚英志斎藤環の対談を思い出した。広田照幸の議論の中で僕が唯一同意できない点もここである。ただし「(元)登校拒否系」の主張にそのまま賛同するわけではない。

ひきこもり・ニートもまた、さまざまな差別・偏見の対象となっています。これに対して、「いや、それは彼らの実態からずれている。彼らの真の姿は○○だ」と反論する人々も現われてきました。しかし僕は、ひきこもり・ニートと分類される人々の「真の姿」が何であるのかということには興味がありません。偏見に反するような「実例」を指摘したり、統計的なデータで偏見を覆すことは、「良いニート」「悪いニート」を生み出すことでしょう。しかしどんな統計テクニックを駆使しようが、僕のようなダメ人間が一定数いることは否定しようがありません。2ちゃんねらーがよく知っているように、「ダメなやつは何をやってもダメ」なのです。

しかし私たちが目指すべきなのは、適性ある者が偏見によって無能と誤解されることがないような社会ではなく、したがって本当にダメな者は相変わらず切り捨てられるような社会ではなく、全ての人が無条件に肯定されるような社会であると僕は思います。ニンニクから匂いを除去し、コーラからカロリーを抜き取り、ビールからプリン体をカットするのではなく、登校拒否を、ニートを、ひきこもりを、誰一人として「トカゲの尻尾きり」のように切り離すのではなく、そのまま、丸ごと、生きていていい、と言うべきです。

もしマイノリティーに「モデル」が必要であるのならば、それにふさわしいのはネオ麦茶であり酒鬼薔薇聖斗でありM君であり宅間さんであり新潟事件の青年でしょう。支配的価値観から評価しやすいような人材を「発掘」してきて寛容の精神を示すことではなく、最も忌み嫌われるべき、おぞましき者たち、「限界」を超えてしまったような者たちを肯定できるかどうかということによって、私たちの差別との距離は測られます。

斎藤――ちょっとライトノベルから外れるんですが、ひろく「フィクション」の問題とも関係しますし、この機会にぜひ伺っておきたいことがあるんです。これは文章にも書きましたけれども、私が大塚さんと同じような経験をしたと思ったのは、私が結局「ひきこもり」という、言ってみれば一種のジャンルの成立に関わった点です。
 その成立の当初において新潟県柏崎市で佐藤宣行という男が少女を監禁したという出来事があって、私は大塚さんと全く逆の戦略を採ったわけですね。その事件に事寄せて「ひきこもり」に関する批判は許されないと。なぜかといえば、佐藤は例外だからです。百万人もいれば何年かに一人くらいは犯罪者も出る。そういう問題としては彼は例外的事象だから切り捨てましょうという戦略を取ったわけです。実際、犯罪率という点から考えても「ひきこもり」と犯罪は関連性がきわめて低い。そこを強調しなければ、当事者への偏見の高まりを防げない。だから私は佐藤を切り捨てた。これは私が当事者としては語り得なかったこととも関連するかもしれません。でも、もし当事者だったら、過度に自罰的になってしまっていたかも知れない。そのときは「犯罪に至りうる存在」としての「ひきこもり」擁護をせざるを得なかったかもしれない。
 それについて、私が大塚さんにぜひ伺いたいのは、「おたく」という感性とか「おたく」というジャンルを擁護するのはよくわかるんです。ただ、そのときになぜ宮崎勤をシンボリックなものとして擁護するのでしょうか。
大塚――だって、切り捨てたら楽じゃないですか。
斎藤――楽かどうかは単純には言えなくて、切り捨てたとしてもひきこもり擁護はそれなりに大変ではあります。「おたく」そのものも犯罪とはほぼ無関係に近いというか、報道された事実に基づく限りでは犯罪率は低いわけですよね。そこで「おたく」であることの特殊な危険性をかたるリスクを引き受けようとしたら、大塚さんのようにずっと関わり続けていくしかない。それは非常にしんどいことですよね。そこであえて聞きますが、楽ではいけないんですか。
大塚――ええ、いけないと思いますよ。「批評」をやる以上。宮崎の事件が起きたときに、僕や香山リカや、それから何人かの人間たちも、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないということを感じたわけです。とすれば、「彼は自分とは違う」ではなくて、少なくともこういうふうになっていく契機というものが、自分や自分がコミットした文化のなかにあるんじゃないかと考えていくのは当然の帰結ですから。
 だから「おたく」という言葉をひらがなからカタカナにしていった連中に対して、僕が全く同意できないのは、斎藤さんと同じ論理で、「あれは特殊な人間だから」ということで、そこで判断停止しちゃうわけですよ。そうやって「彼らは違う」と切り捨てることは簡単ですよ。そうしたら問題を抱えなくていいんだから。ただ、少なくとも例えば僕ら宮崎の事件にコミットした人間たちは、そこで「違う」と言うよりは、問題を抱え込むことが必要なんだ、もしくはそれが自分たちの責任の取り方なんだと思ったんですよ。それは、別に彼個人を擁護することとは全く違う。僕が裁判にコミットしたのは、発現したツケを払うためです。
 話を戻せば、たまたま自分たちがものを書く立場にいた、それから自分たちの関わった文化が、初めてあそこで明瞭に社会や世の中と対立した。そのときに考えることによって、あるいはネゴシエートしていくことによって……僕は「ネゴシエート」とか「交渉」という言葉を意図的に使うようにしているんだけど……つまり、自分と違う価値観の人間たちとネゴシエートしていくことで言語ができていく。
 だから僕は宮崎の事件の直後ぐらいに、意識的に保守論壇を、これもあえて迷い込んだという言い方をしてきましたけれども、意図的に選択したわけですよね。いちばんここに軋轢が起きるだろうと。そこのなかで自分たちの立場を説得する言葉みたいなものをつくっていこうというのが、論壇という場所を選択した僕のあのときの直接的などうきだった。だから、逆に言ったら、切り捨てた結果として、そこにいかなる可能性が生まれるのかというのが僕にはわからない。『小説トリッパー』2006年春季号

 ちなみに同性愛が異常になったのは近代に入って精神医学が生まれてからだ、という議論は間違いではないか、と僕は思っている。そのことについてはいずれ触れる。*1

*1:あれ、つまりミシェル・フーコーに喧嘩を売るということ!? そんなバカな!!(笑)