猫殺しのおばさん*1はスケープゴートだった?

 猫殺しについて少し書いてみたい。正直、僕はこの問題に関してはあまり関心はない。そのことを一応断っておく。
 さて、例の猫殺しのおばさんについて、というよりそのおばさんに対して起こったかなりのバッシングについてだが、これはもしかしてスケープゴートなのではないかということを少し思ったのである。それを思いついたのは皮膚病患者を中傷する日記をmixiに公開して叩かれた岩手大生がスケープゴートだったのではないかという誰だったかのブログの記事を読んだからで*1、猫殺しのおばさんも似たような構造でバッシングされているのではないかとちょっと思ったのである。
 僕たちがペットを飼うときに多かれ少なかれ自分にとって都合のいい扱いをしているのは事実である。猫殺しのおばさんは普段僕たちが見ないようにしていたそういう都合のいいペットとの関係を暴露してしまった。しかもその「身勝手さ」においてあのおばさんは他のペットの飼い主たちに比べて群を抜いていると見られたために、自分たちとの線引きの対象として叩きやすかったのだといえる。つまり、自分たちも確かに自分に都合のいい扱いをペットに対してしているが、“あれほどではない”という線引きである。自分たちの同類の中で極端に現出した部分を供犠、生け贄*2にすることで、“レベルの低い”自分たちは免罪されるという仕組みがそこに働いているように見える。その姿は実は「身勝手な」論理で子猫を殺すことを自分に許すおばさんと相似形になっていたりするのではないだろうか。
 ちなみに僕の実家でも僕が大学に入る年まで猫を飼っていたが、不妊手術をしていた。ある日おなかに縫い針のあとをつけて帰ってきた猫を見て子供心に理不尽なものを感じはしたが、いまはそれでよかったのだと思っている。
 

*1:ここだhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/searchdiary?word=%b4%e4%bc%ea%c2%e7

*2:ささげる対象は恐らくこの消費社会そのものにだろう